字が変わった父


私は字が下手である。蛇がのたくったような読めない字を書く、覚書でメモ書きした字が後で自分で読めなく、何を書いたのか判読できずに困ることがしばしばだ。
しかし、父は、誰にでもよく解る、楷書体の字を生涯、書いていた。

その訳はこの宮古島にあった!
 
宮古島での父の仕事は、徳之島沖撃沈で亡くなった何千人という戦死者の事後処理事務と、部隊の陣中日誌を書くことだった。
ある日、本多副官という上官から命令が下った。「俺が平良に行ってくる間に陣中日誌を仕上げておくよう」。朝から日誌の清書にとりかかり、副官が帰られた正午過ぎ、見せに行ったら「こんな文字の日誌を陛下の前にお見せできるか!と叩きつけられ、叱り飛ばされた。普通に書いたつもりだったが、殴り書きの部分もあって、深く反省し、一字一句を楷書体で、丁寧に書き直し、持っていったら、副官に許され、それ以来、父の字はそれまでの字体と変わって、読みやすい楷書体になったという。
 
父のこの字体の変化は、故郷に住む両親や妻など家族にも、笑えないエピソードを生んでいる。大本営が大きくは発表していなくても、徳之島沖で、海戦があり、ほぼ全滅という噂がふるさと・常陸太田でも流れ始めていた。情報源は、常陸太田から鹿児島に研究に行っていた技術者が、徳之島沖撃沈の情報を伝えていたことらしい。「夫は死んだ・・・」と妻、つまり我が母は、思い込んでいたようだ。
 
父は故郷の家族に、自分は生きている、元気なことを知らせたかった。ある日、隊長から許可がでた。「輸送途中の徳之島沖の海戦の様子をプリントし、家に知らせても良い」
 
住所も宛名も、当然、字体が変わっていた。軍から来た公報、母も両親も、父の戦死を伝えるものと思い込んで、一週間ほどは、神棚に上げたままだったという。開封して、生きている父からの生の生還報告とわかって、割れるばかりの歓声が上がったという。(つづく)