つんま・・・積間を訪ねる!そして想う

そこにはなんと、72年前の父の痕跡が残っていた!

父の自叙伝「夏山のしづく」にこんな記述がある。「3月1日付で上等兵に命じられた、1か月くらいしてからツンマという部落に部隊が移された。敵の爆撃は益々激しくなる一方だった・・・」
 
少しネット検索したり、地元の宮古新報などに問い合わせて、推測がついたことは、今の防衛省・防衛施設庁・陸上自衛隊が当たりをつけている新たな防衛施設は、きっとゴルフ場あたりじゃないか、地権者が少ないほど買収が楽だ、地図をみると千代田カントリーというゴルフ場があった、ホテルの従業員の情報も、ツンマはその辺りを言っていた。

朝食を摂ったらすぐにレンタカーを飛ばして、千代田カントリーを目指した。30分もしないうちに着いた。車を停めて、歩いて調べることにした。
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ゴルフ場のすぐ裏に民家があった。入ってみた。老人がいた。聞いてみた、昭和20年頃のことを・・・。

老人は覚えていた!当時小学生だったという。日本軍の部隊がこの辺りにあって、兵隊さんが幾人か暮らしていたという。老人はきっと、父の姿を見ていたに違いない。兄が叫んだ。「これは古いぞ!」老人の家からわずかに数十メートルのところだった。コンクリートの塀と言い、はめ込んである堅固な金属棒と言い、見るからに、兵舎や軍事施設風の造りだった。
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 つんま・・・どこだろう?という疑問が解けた。そしてそれは、積間と書く。爆撃の嵐の中、高熱のマラリアと闘いながら、父は72年前にここで息をし、水をのみ、生きながらえて暮らしていた・・・。

今、私は、遠い昔の父の匂いを感じながら、つんまの道を歩いている。この堅牢な塀の中にきっと兵舎があったのだろうか、父も触ったであろうコンクリートの塀に触れると、何ともいえない感情が込み上げてくる。

 宮古島の墓は小山の岩をくりぬいて、入り口は小さいが中はとても広く、亡くなった方の骨が収まった甕がいくつも置いてあったという。沖縄の人はとても先祖を大切にする風習だ。空襲のときは防空壕代わりに、こうしたお墓に逃げ込んだ。父は隊でも有名な臆病者だったという。いつも一番先に墓に逃げ込んだそうだ。隊でも時には酒盛りをした。当然、サトウキビでこしらえた泡盛。酒が入っている時だけは、臆病者の父も「爆弾でもなんでも落としてみろ」と強がりのタンカを切ったことが、「今思うと滑稽だった」と父は自叙伝で書いている。

私は若いころは深酒の武勇伝が多いテイタラクだったが、父は酒で乱れることが全くない人だった。その父から聞いたことがある・・・「実は一回だけ、大酒で失敗した。それは教員になりたての頃、酒を呑み過ぎて、自転車で田んぼの中に入って、泥だらけで帰宅した、父親にしこたま怒られた」それ以来、呑み過ぎは絶対にしない人間になったという。
 
それにしても、このツンマに、また、大きな自衛隊の基地建設が進行中らしい。ゴルフ場用地が基地の中核のようだ。狭い地球の中で、国家や民族の対立、軍備という手法しかとれない人類の浅はかさは、いつになれば解消されるのだろうか・・・。(つづく)