蕎麦屋で牛乳を考える

自称積ん読派もたまには読む。昨日はスノーブランド雪印を創業した我が街出身・黒澤酉蔵が足尾鉱毒公害で有名な田中正造と面会し、酉蔵が自分の生きる道を知った瞬間の話を読み、身震いした。(出典は先崎千尋・前島平と七人衆・茨城新聞2014)。
何年前になるだろう、スノーブランドが脆くも崩れ去る大事件が起きた時、創業者の熱き心を忘れ去った当時の雪印のバカタレどもに、鉄槌をくらわし、社に残る良識派に酉蔵精神を思い起こしてほしいと、HPの日記で何度か書いたのを思い出す。
昨日は、正造が国の対応に業を煮やして、明治天皇に鉱毒被災者の救済を直訴した新聞記事を見た17歳の酉蔵少年が、東京の木賃宿に正造を訪ねたシーンにまず感動!
「やあよく来たね、どうぞおあがり下さい」と慈愛に満ちた正造と、矢も盾もたまらず何かをせねば、と純真な酉蔵少年の初対面が鮮烈だった。
酉蔵はこの時、「この人となら、一緒に命をささげてもよいと思った。どんな苦労しても虐げられている弱い人間をすくわねばならんと思った」と書いている。人生には出会いというものがあり...、この時の邂逅が、安全な牛乳と乳製品が栄養失調の日本人を救う我が使命と悟った酉蔵少年の人生を決めたそうだ。
酉蔵のご子息はやはり純粋なる牛飼いとして生き、雪印の食中毒事件が起こる少し前に、雪印幹部に安全性提言をしたという、しかし、幹部はなんと「黒澤さんのご子息にお言葉ですが、今の時代、良い牛乳なんて考えはやめた方がいい」と言い放ったそうだ。スノーブランドは、創業者精神などどこへやら、病魔に侵された経営幹部のために、崩れるべくして崩れたのだろう。
昔から雪印しか飲まなかった、食べなかったが、事件以来、他のメーカーに切り替えた、長くそうしてきたが、最近は、メグミルクも呑み始めている。心すべきは安全性と品質への、あくなき、変わらぬ原点主義なのではなかろうか。
 
牛乳と言えば、何十年も会わなかった高校のクラスメートが、牛乳屋になり、しばしば、サービスで1本持ってきてくれる、彼と時々話す、高校の思い出もまた、楽しからずや、である。