少し持論が言えたかな?

今夜のホッとニュースです。

私、東海第二発電所の安全性説明会に出ました。そして、持論の一端を言えました。

今、フェイスブックに描いたものをコピペします。


想像以上に集まった。300人会場が満員。説明1時間20分、質問1時間。なかなか良い配分だ。理知的で男前の所長だった。彼が私の発言に「貴重な意見感謝します、できましたら後で頂けますか」と関心を示したから褒めるわけじゃない。でも、今夜の集まりで、日頃感じてます、原発再稼働問題に、持論の一端を言えて、ある意味嬉しい。何人かの知己も「発言良かったよ」と言ってくれた。
その発言はこれです。
「質問ではなく、希望要望切望であります。
人の一生・・・いろいろな悲しい出来事が起こります。親の死、配偶者の死、兄弟親友の死・・・しかし、「ふるさとを棄てなければならない」という悲劇が、自分の責任ではなく、強制的に起こってしまう、実に悲惨なる出来事が生じるものだということが、2011年の福島原発事故でわかりました。
私は団塊世代の第一号、中学の社会科見学で何度も、東海村に連れていかれました。
原子の火・原子力発電というものが、人の科学の頭脳を使えば、安く、そして無尽蔵に、生み出させる、そして、日本中世界中が明るく、電気を一杯使える、豊かな暮らしも生み出せる、夢の神話・安全神話をたっぷりと植えつけられました。
だからでしょうか、学生時代の平和運動でも、核兵器は絶対反対だけれども、平和利用の原子力はノーではない、そういう運動しかできませんでした。
でもしかし、2011年3:11日以降は、180度変わりました!
原子力は人の手で行うべきではない、特に、大地震国・大津波国では完全に不向き・してはならないエネルギー開発である、ことが明確になりました。
なぜなら、人間は、神ではない、思い上がりに満ち、間違いを起こす動物だからです。
大自然のすさまじい脅威に、最終的には勝てません。
原子力発電は、世界規模ではこれから先、必ずや、やめていく、いややめていくべきものでありましょう、耐用年数が迫っている古い原子炉を何年間か燃やすよりも、賢明な選択を考えましょう。
我が国原子力のメッカ・東海村こそ、廃炉研究と核廃棄物処理研究のメッカになるべきです。そのことが、人のため、地球のためではないでしょうか。
最近家族が村松の病院に入院してますので、毎日のように東海村に通っています。
この道路を行く人々は知能の高い方々です。しかし、福島のあとは顔色の変化がわかります。
原研道路を歩く人々の暗い翳りの顔を見たくない。
輝いていてほしいのです。でもできます、廃炉の研究と、核廃棄物処理の研究は、この方々しかできません!蛇足ですが、廃炉研究や廃棄物処理研究はこれから先、何十年何百年かかるかわかりません。原子力関係者のお仕事は延々と続きます。